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私の猫がいない日々

サモはあれっきり帰ってこない。
一番最初に撮ったサモの写真の日付を確認したら、去年の1月1日。よくお隣との境の塀に乗ってこっちをうかがっていた。
サモが懐っこく距離を縮めてきて、すっかりなついて転がってはなでなでを要求して甘えるようになるにつれ、この猫は遣わされたのかもしれない、とぼんやり思った。

ちっきは毎年一回食べられなくなっては死にかけて、そのたび奇跡の復活を遂げてきた。
口の中のトラブルで食べづらくなっているというのが大きな原因ではあったけれど、好き嫌いも激しく、常に三種類ぐらいのご飯を用意して、それでも食べなくてどんどん痩せていく。
昨年5月ごろからまたそんな気配があって痩せはじめたけれど、特に体調が悪そうにも見えないので15歳という年のせいでの食細りか、それでも少しでも食べるものを、猫エサはもちろん好きな魚や鶏肉を焼いてほぐして、食べるときは食べるけど食べないときはなんも食べない。

体重が2kgをきったときはもうだめかと涙が出たけど、それからまた100g増えたのがちっきの底ぢから。でもそこまでだった。
三度目の奇跡は起きなかった。

ふらふらになりながら、それでも庭に出るちっきに付き添い、さらに庭を出ようとするちっきをごめんよと押しとどめ、日向ぼっこの定位置の水場手前のブロックの上にちょこんと座らせる。あんたこのまま出てったら帰ってこれないよ。それは嫌だよ。
しばらくして抱き上げて家に入った。

その日の夜、ちっきの寝場所の定位置である私の胸の下に乗せ、こっちを見つめる写真を撮った。まだ目に力がある。

翌日、もう起き上がれなかった。相方が二時間おきに水を口に含ませるも、それもなかなか受けつけなかった。

夜、動けなくなったちっきを右腕の中に抱えながら、夜中に何度も息をしてるかまだ温かいか、触って確認する。

朝。水を口に含ませてから電気マットの上に横たえてこたつの中に移す。

ずっと考え続けていた。ちっきの最期をそばに付き添って看取るべきかどうか。
先に旅立った、甘えん坊で、甘えさせてくれたしろくろの兄妹やちっきの母のくっきと、ちっきは違った。
甘えさせてくれない、相棒。どこまでも自由だった猫。

考えた末、ちっきのそばにいるのをやめた。
どこまでも自由な猫の最後の出奔を引き留めた。せめて最期は自由にひとりで。それが合ってるのかなんてわからないけれど。

二時間後。相方が様子を見にった。
「ちっきが逝った」
クリスマスの朝に。

こちらを見るちっきの表情。今その写真がスマホの待ち受けになっていて、毎夜その写真をじっと見つめ、胸の上に抱きしめて寝る。居なくなったいま、やっとちっきに甘えているわたし。

サモの存在でかなり慰められた。そのサモももういない。

『私の猫がいない日々』 熊井明子のエッセイ。実家にある本の題名をを思い出した。読んでみようと図書館で探してパラパラ見る。やっぱいい。人んちの猫話に興味ない。

私が好きなのは自分ちの猫たちだけ。

母からのお悔やみの花代と、作ってくれたちっきのパッチワーク。
IMG_20180205_232412_499.jpg

ずっと見てるとそこにちっきがいるように見えてくるのが不思議。

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