涙の検証

久しぶりに会った友人が言うのです。

『うちの猫死んじゃったんだよー。ガンでね。14歳だった。どらこちゃんちの猫は?元気?』
うちの猫も去年一匹死んだよ。その何年か前にも一匹。二匹ともまあ、老衰だね。15歳と13歳だった。
そのずっと前に病気で死んだ猫もそうだけど、みんなうでの中で看取ってやれたことが救いだな。
で、今は14歳の猫が一匹いるよ。

『そっか。みんなおうちの庭とかに埋めたの?』
うん、玄関横の植え込みの横。

『うちは、ほら、ペットを焼いてくれる車あるじゃない。ペット葬儀屋っていうの?あれを頼んで家に来てもらったんだけど、
とってもいいおじさんでさ、焼いてる間いろいろ話したんだけど、隣の空き地でよく跳びまわっていたいたとかね。
いろんな猫みてきたんだろうね。最後に御骨とこんなのも渡してくれたよ。いつの間に書いたんだろうね。』

そういって見せてくれた画像は、友人に聞いた猫とのエピソードなどを盛り込んだ、猫からの手紙。
その最後の二行を読んで、号泣しました。

今までみまもってくれてありがとう。
楽しかったよ。

仲間内の飲み会の席で、他の人たちはあちらこちらでそれぞれ盛り上がっていたため気づかれなかったのは幸いでした。
友人はハンカチで顔を覆い涙が止まらない様子の私に、ここまで感動してくれたのはどらこちゃんだけだよと驚きながら感激していましたが、実のところこの言葉でどうしてこんなに反応してるのかがよくわからなくて、泣きながらずーっと考えていたのです。

その日以降、なぜこんなに泣けてくるのかを考えようとこの言葉を思い浮かべるたびに涙が止まらない。
その時頭の中に渦巻くのはうちの猫たちとのあれこれ。その最後のとき。

昨日お風呂に入っているとき、その感情をひとことで説明できるフレーズがあったことを思い出した。
さだまさしの関白宣言の一節。
 
 お前のおかげで いい人生だったと
 俺が言うから 必ず言うから

人だったら言葉が通じるから言ってくれたらいい。
でも猫は人語を話せない。

ありがとう、楽しかったよと思ってくれてると思う。そういう風に私たちは付き合ってきた。
でもそれは私の気持ち。猫もそう思っていてほしいというのは。

例えば友人に私がこの言葉を掛けたとしても、それは慰めの言葉と受け止められると思う。
でも、この第三者のおじさんが、たくさんの猫を見てきたであろう、“いいおじさん”が代弁してくれたことで、
猫の言葉としてすっと沁み込んできたんだと。

この手紙を受け取った友人に、良かったねと思う。
私もそう言ってほしかった。

以上、涙が止まらない理由の検証おわり。

猫を飼いたい別の友人宅に、ついに猫がやってきました。
兄弟子猫2匹を一緒飼い。
これからの猫たちとの暮しが楽しい日々になりますように。

続 庭の蜂の巣 
ハチの巣
蜂、増えてます。


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おしまいの風景

6月も半ば近くなり、田植えもすっかり済んで、少年くらいに育った苗が育っています。
うちの南側に広がっていた田んぼ三枚、ついに田植えをしませんでした。

毎年、田植えが他より遅いので、まだかなまだかなと気にしてると、重い腰をよっこらせとあげるように始まるのを見て、ああよかった今年もここからカエルの合唱が聞こえる、と安心するのです。

もちろん育っていく苗を見るのはたのしく、吹き渡ってくる風は気持ちよく、ひとんちの田んぼながら生活の潤いの一部だった。
このためなら、連日朝5時から畦の草を刈るギィィィーンという音も我慢した。

今は茶色い土に緑の草がぼつぼつ伸びて、荒涼とした景色です。

通勤路として歩いていた道を先日久しぶりに歩いたら、田をやめてしまった場所があちこち。
ひとつは草がぼつぼつ。もう一つは整地され4分割されて住宅地として売りに出されていました。

一本の名も知らぬ、でも妙に気になる木がシンボルツリーだったとある畑は、去年の春先だったかにその木が切られたのを見て、ああここも仕舞いなのだなと思いました。
その木の一年の移ろいを見るのが楽しみで、そこで農作業をしている人たちの姿をみるのも、何というんでしょうね、いつもの風景という感じでした。
今は住宅を建てています。

実家にも畑があります。
何年か前に貸していた畑が返されました。長いも農家の方が、もう年でやめるからということでした。
自分ち用の畑では父が趣味でやさいを作っていますが、父も健康面体力面できつくなっているようです。
それでもスイカやかぼちゃをメインにあれこれやっており、この野菜を私たちやご近所に分けるのが何よりの楽しみ。

いつまで自慢のスイカやかぼちゃを『これは美味いかぼちゃだぞ!』とか『小玉は美味い!大きいの…はどうかな』などとうれしそうな顔で渡してくれるだろう。

荒涼とした土地をみる。
でも、カエルは元気よくゲコゲコと鳴いております。


庭の植え込みに女王蜂がせっせと巣作り
巣作り

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読み方いろいろ

茅田砂胡作品を続けて読み倒しています。
デルフィニア戦記の時より力を抜いていますが、読み始めると止まらないのは一緒です。
その中に『女王と海賊』という題がありまして、この女王って、
皆さまなんと読みます?
IMG_20160608_233317.jpg

わたしはずっと“じょうおう”と読んでいました。
この本の表紙の題名にふりがながふってあり、そこに“じょおう”と書いてあるのを読んで、えっ…?とわが目を疑いました。だってじょおうなんてことば聞いたことない。と、思ってる。
“じょおう”って言いにくくないですか?まあ“じょおう”だと思ってきた人には、その言葉そっくりそのままお返ししますと言われるんでしょうけど。

アナと雪の女王って放送にのってた時は何て言ってましたっけね。

もうひとつ昔から気になっていた言葉が、“瞬き”
またたき でも まばたき でもいいんです。でも私はまたたきが好き。
昔の少女漫画に紡木たくの『瞬きもせず』ってありましたね。知ってるけど読んだことなくて、そのくせ何故かずっと『またたきもせず』だと思っていました。
正しくは『まばたきもせず』

中島みゆきの歌にも『瞬きもせず』という歌があり、相方に聴いたら、
歌詞を確認した限りではこれは“まばたき”だな。瞬きひとつのあいだの一生…と歌詞にある。
ああ、そうだね。これは まばたき。

ならば井上陽水の『瞬き』は?歌詞を読む限りどちらでもありかな。使い分けてる?
聴けばいいんでしょうけど。

ここには 星…またたき  目(まぶた?)…まばたき
という共通認識がある。なんでそう使い分けているのかは不明。

例えば田中さんという知り合いがいたとする。
ひとりはどうやっても合わない、話をすると不愉快になる、関わり合いになりたくないけどそうもいかない田中さん。
もう一人は、腕利きの整骨院の先生で、ぎっくり腰になってもすぐに歩けるようにしてくれる頼りになる田中先生。

この二人が同じ“田中”だって気づいたとき、愕然としたね。
同じなまえなのにこうも抱く感情が違う。いや人がちがうんだから当たり前なんですけど、言葉には人間でいうところの人格(霊)があるのと、ひとにそれぞれ名まえがあるのと、変わらないと思うんですよ。
んーーなんかうまく説明できないんですが。

まあ同じ言葉でも人によって使い方や読み方や、受ける印象がちがったりするから、つまりそういうことなんでしょうかねえ。
どういうことだよ?

すみません、これでおわります。

うちの咲きたてのミニバラ
IMG_20160606_091254.jpg

これでご勘弁を。


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